それぞれ個性的で、個人差があるとしか言いようがありません。
私が知っている限り、研究者のようなストイックで真面目なタイプから、「生きることは演じること」を自負しているような派手なパフォーマー・タイプ、自分のルールに従って淡々と仕事をしているサラリーマン・タイプまで、いろいろな人がいました。時期によって、タイプが変わってくる人もいますし、最終的には自分に合った生き方に落ち着くいていくようにも思います。ただ、皆さんが期待しているほど、面白くも変わっていたりもしないと思いますので、そういう期待は、芸人さんになさって下さい。
アーティストですから、自分の表現に取り組んでいます。自分の表現=自分の特異性や個性ですから、それを人様にアピールしていこうというのですから、そういう意味では「変わっている」ことを目指していると言っても、あながち間違いはないと思います。
更に、自分の特異性や個性を、人様にアピールしていくために、意図的に演出を加える方もいらっしゃいます。誇張したり、派手に振舞ったりすることは、「色もの」「極もの」という変わっている人たちを連想させるかもしれませんが、会社の広報宣伝と考えれば、それほど変わっていることだとも思いません。
更に、アート・パフォーマンスという、表現活動そのものである場合もあります。違うものの見方、非日常が出現するわけですから、今度は、変わって見えてもらえなければ、パフォーマーは逆に困ってしまいます。
実は、人間それぞれに、少しづつ違っているし変わっているのが自然なことです。その中には、アーティストの様に、変わっていることを商売にしようとする人間がいても、不思議ではないはずです。
変わっていることは、アーティストやアート界では、ポジティブに捉えられている側面があります。問題なのは、変わっていることをネガティブに捉える、世間のイメージです。同じの方が良いとか、同じでなければいけないとかの、同質化、同調圧力がそれに当たります。変わっていることは差別に変わり、変わっていることが悪いことになると、変わっている人は自然に生きることが出来ません。個性、多様性のために、変わっている人がもっと容認されるべきでは?せめて、「変わっている」中身を問わず、同質の側から紋切り型に判断する意識の硬直は、いい加減変わっていっていただきたいと思います。
アーティスト続けていると、アーティストであると申告するだけで奇異の目で見られたり、何かを表現しようとしたら変わり者扱いをされたりするのが日常茶飯事でしたから、変わっていると思われることにはだんだん慣れてきてしまいます。これからアーティストを目指す人も、同質化、同調圧力が強い世界に生きている限り、耐性はある程度必要だと思っておく方がいいでしょう。