私、歳森 勲は、アートから、たくさんのものを貰ってきました。
また、専門を志してからは、自分の視点や方法を持ちたいと、作品から刺激を受け、作品が出来た理由を求め、試行錯誤を繰り返しました。アカデミックなものからコンテンポラリーなものまで時代を問わず、さまざまなアートに触れられたことは、有難く思っています。
また、30年以上、様々な立場の人に教える機会も持てました。その人に合わせて、考え方、方法を、どのようにかみ砕いてお伝えするか?今も、模索し続けています。
このサイトが、どんな方にとっても、クリエイティビティや感性を伸ばす切っ掛けになれば、幸いです。

講師について、お寄せいただいた質問

前置きで「昨今の状況を鑑みますと、あまり躊躇している場合ではないと思いました。」とありましたが、昨今の状況とはどのような状況を指していますか?

(※https://dessin-on-demand.com/art-cafe/ 冒頭の文章に対する質問です。)

まずコロナ禍、そのための閉塞感
外に出て作品を見に行けないこと、そのためにアート関係の場所も良い状況ではないこと。

  • インターネットは可能性がありますが、偏りもあります。
    →リアルが足りないこと、真偽の不確かさ、好みによる選別で、情報は偏っていきがち。
    →そのような環境下では、現代アートに触れる人が増えるとは思えませんでした。
  • もともとの、現代アートの閉塞状況
    →コロナ禍の影響で、更に現代アートを理解してくれる人が少なくなっていくように思われました。
  • 現代アートは、感動を生んだり、新しい見方、考え方になったり、勇気に結びついたりするだろうと思っています。
    →今の状況にこそ、現代アートが役立つのではないでしょうか?
    有名な人も専門の人もいる訳ですが、誰かがやるのを待っているようでは、自分の人生を考えた時、時間がもったいないと思えました。

主催者の歳森さんは、なぜアーティストになりましたか?

この手段が、一番自分に合う方法で、社会的意義を持ったものだと、思ったからです。


小学生の頃、中学生の頃、高校の頃、美術への向き合い方、関心はどのようなものでしたか?
  • 小学生の頃
    =幼くから、泥遊びや粘土を好んでいました。
    両親の離別、鍵っ子生活の中で、生活の一部になりました。親や先生に褒められるのはうれしかったのですが、自分が好きだからという理由でしていたと思います。
  • 中学生の頃
    =運動に傾倒して、授業の時間以外は、それほど絵は描きませんでした。
  • 高校の頃
    =中学高校を通した受験校経験で、学歴社会に嫌気がさし、運動ばかりしている内にすっかり落ちこぼれました。
    そして、田舎を追ん出て、アートで一発逆転することを目論んだのです。
    芸大受験のために、部屋にこもって絵を描き、ギリギリの出席日数でからくも卒業しました。

歳森先生が一番「ぎゃあ!」と思った作品は何ですか?

フェンスに囲まれた空き地の中心に汲み取り井戸が一つ、静かに水を噴き出し続けていました。
ヘフナー/ザックス 崇仁公園 PARASOPHIA 京都国際現代芸術祭2015
ぎゃあ!ではないのですが、心にしみる感動を覚えています。
京都は歴史が強く残った場所、被差別の歴史も強く残した崇仁地域は、立ち退く度にフェンスで囲い続けて、もうほとんど家が残っていませんでした。遊具や井戸など、ところどころに生活の痕跡が残り、作家はそれをさりげなく、丁寧にインスタレーションにしていました。

被差別の歴史、場所が一つ、終わろうとしている。
そして、水が湧き続けている。
そこに暮らした人々に思いを馳せ、献杯しました。

略歴

1967.06  香川県高松市に生まれる
1997.03  東京芸術大学大学院後期博士過程 美術研究科油画専攻修了
2001.01  ポーラ奨学金を取得、台湾に一年間滞在、制作
2008.04  岡山県岡山市に移住

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