アートは贅沢品だ、生活余剰物だという意識の方は、多いと思います。また、アートに触れる場合はそれほどお金はかかりませんが、オークションなどで、すごい値段で取引されている、そのニュースが印象深いがために、アートは贅沢だと思う方は多いのではないかと思います。

コロナ禍で多くの方が生活にお困りになっていらっしゃる中で、あえて、「アートは贅沢ではない!」と反論する必要があると思いました。アートの見方、考え方というものは、基本無形のもの、哲学を学ぶのと同様、お金がかからないものです。そして、アートの常に更新していくという存在のあり方は、例え困難な時でも、新たな地平を拓くという姿勢に共通するものがあると思えます。また、文化というものが人間の存在理由、動物との違いであるならば、衣食住に余裕の無いときでさえ、前向きな心理状態を生み出すことに役に立つはずだとも思えるのです。コロナ禍で困難な時期にこそ、アートの存在理由が明らかになるはずだと、私は思います。

もう一つ、お金というものは、社会の血液のようなものです。お金が流れないと、アートという臓器は死んでしまいます。その時、アートの持つ歴史や技術、そして研鑽してきたことが失われる。ものによっては、取り戻せなくなる。大きな損失を生じるとともに、こういう時に文化にお金を流した国と、お金を流さなかった国では、文化のレベルの、大きな開きが生じてしまうことになると、容易に想像できるのです。

アートは贅沢であるとして、身近なところから離すことに、得は無いと考えます。

[贅沢ではないという理由]
絵にかいた餅は食えない。→餅は食べれば無くなるが、絵はずっと楽しめる。
衣食住とは関係ない。→衣食住を精神的に支えるものはある。
お金持ちだけが持つ、贅沢品。→お金持ち以外でも、見たり購入したりすることが出来る。
王侯貴族がパトロネージュする歴史が長く続いた。→民主主義で、マスカルチャーも、インターネットもあって、多く人がアートに触れられる。
富裕層がアートを高額で取引する、マーケットの世界がある。→少額で買えるアートも、ネット・オークションもある。

アートゼミの会話、抜粋

受講者
生きるためにギリギリの生活をしている人、
忙しくて職場と家の往復だけになっている人、
自分の時間や金銭的余裕の全くない人・・・に、とってみたら、贅沢には見えるでしょうけど。
でも芸術家って、基本びんぼう人が多いけど。。。(苦笑)
アリとキリギリスにもあるように、日本では「望まぬ仕事でも真面目に粛々とこなし、家族の為に生きるのが偉い」という風潮があるので、芸術家のような生き方は、忌々しく映ると思います。

講師
私は、岡山で、祖父の家を改装して、アトリエにしていました。しかし、祖父の遺産を親戚に分配するために、その家は売られました。その後、小豆島に、芸大の師、榎倉康二氏の父親が持つ家を無償で借り受け、アトリエを持つことが出来ました。お金に対する考え方は、人によってまったく違うのです。

作家としては、アートには心が載っていますから、作家は魂を振り絞って作品を作っていますから、例え値段が高くても贅沢では無い!と、言いたいのは山々なんですけど、お金を出してくれるのは人さまですから、少しでも理解者が増えていくことを目指して行くしかないように思えます。

受講者さん
まぁ実際、芸術家は技術職ですから長年の研鑽もありますし、構想から実制作まで、ものすごく時間も要するし、高いのは仕方ないですよね。日本人の心理的財布に、芸術購入の選択肢がある人が少ないです。

講師
アートを贅沢だと思う人と、贅沢だと思わない人が、具体的に繋がる機会が必要なのだと思います。お金をそれほどかけなくても、見るだけでも、知るだけでも、たくさんのものが得られる機会があり、感動を生んだり、新しい見方、考え方になったり、勇気に結びついたりすることもあるという経験を通して、少しづつ誤解が解けていくと思います。そのような機会の一つになればと、ささやかでも身近なところから始めようと思い、アートカフェを企画しています。