「世界平和を一身に背負っているつもり?」
「特殊な文化」
「ハイ・カルチャー」
「意識高い系(付いていけない~)」
なかなか辛辣です。現場は厳しいですが、それを批評と受け止めるなら、貴重な意見です。

現代アートの特徴として、批評性というものがあります。現代アートが嫌われる理由の一つに、この批評性があるとも思っています。批評というものは、受け取る側の姿勢によって変わってきます。今後に生かすために大切にする人もいれば、日々ストレス・フルなのでもうたくさん!と、敬遠する人もいます。だから、批評性を持つ現代アートは、「カッコいい」ものでも「カッコつけている」ものでもあります。

更に言えば、このような言葉の背景には、知っているか?知らないか?の違い、内部から見た景色と外部からの景色の違い、温度差があります。これは誤解ではありませんし、良し悪しを判別しても、埒が明きません。知らない人に「良いじゃないですか~カッコつけさせてやって下さいよ。」と、知っている人に「何か新しいものを目指すと、世間から浮いてしまうことは、よくあることだから。」と心情的に接することで、双方の距離は縮まるかもしれません。それでも、この問題の解決策にはならないと思います。

一番良いのは、アートのパワーが持つ、事例に触れていただくことです。切れ味鋭い、2作品を選んでみました。作家名と作品名を検索し、作品画像を是非ご覧ください。ほんの一例に過ぎませんが、皆さんと現代アートの接点になれば幸いです。

マルセル・デュシャン 「泉」

作られたか時期 1917年 (1918年末、第一次大戦終了)

発表された場所 第一次大戦展(公募展)
印象派の影響を受けた作品が、旧態依然と展示されている場所で、発表された。

作品について
●愚かな戦争に対して、それまでの文明を根底から疑った。(ダダイズムという、アート運動の仲間が明言。)
●描くことを否定!→既製のものにサインしただけ=レディ・メイド
(アートかどうかは、「鑑賞者の頭の中で決まる」という、見解を突きつけた。)
●最も、美しいというイメージからかけ離れたオブジェ=便器
●泉というタイトル=小水の比喩か?

その他エピソード
●展示を拒否される。
●美術界に大論争を巻き起こした。

バンクシー「花束を投げる男:flower bomber」

作られたか時期 2003年 (2000年以降、再びイスラエルとパレスチナ自治政府との間でゲリラ戦が再燃し、和平交渉が事実上の停止状態にあった。)

発表された場所 パレスチナ、ベツレヘムのガソリンスタンドの壁 (火炎瓶にはガソリンを入れる。)

作られた理由
ゲリラの少年をモデルにし、火炎瓶の代わりに花束を持たせた。武器ではなく愛や敬意を、というメッセージ。(ストレートで分かりやすい。)

その他エピソード
●目にした人に撮影され、拡散されることで、有名になって行った。
●素性を明かさない。危険であり、違法であるから。
●現在この場所は、観光名所になっている。

 

「カッコいい」を通り越していますね~皆様はどうお感じになりましたか?
新旧の、二人のアーティストには共通点があります。
●反骨精神を持っている。(それまでの状況に問いを投げかけている。)
●状況を、反動的に利用した。
●周りが巻き込まれて、アートとして成立している。
●独自の方法を持っている。

「カッコつけている」になるか、「カッコいい」になるかは、作家の持っている凄み、見識やリアリティーに拠るかも知れません。平時で意識されないことが、非常時では注目されたりもするように、空気や温度は常に変化します。その中で、通奏低音のように響いている「何か」を見つけ掴むことが出来るなら、「カッコつけている」は、自然に「カッコいい」に変わっていくような気がします。