ーこの記事は、熱血!デッサン塾に掲載されていたものを転載したものです。Q&A方式で、デッサンを始める人の素朴な疑問にお答えしました。マンガ 山吹あららー

上手くなりたい!このサイトをご覧になっている多くの方を含め、デッサンを勉強したいと思っている方のほとんどは、上手くなることを目的としていらっしゃると思います。

ここで質問です。
なんのために上手くなりたいか?
●アートでは、上手いことと、良いことはどちらが大事か?

答えは
描きたい作品のために、上手くなりたい。
アートでは、上手いことの前に、良いものであることを目指す。
つまり、デッサンは、アートに必要な表現技術です。

「上手さ」にこだわってしまうのは、美術教育の影響が大きいことは確実にあります。幼年期は、遊んだり創意工夫したりする、おおらかで楽しい行為中心で良いのですが、小学校高学年から「上手い」ことが重んじられ、その後中学、高校と続きます。「上手いかどうか」という基準であれば、成績は付け易い。「上手いかどうか」でなく、「好いかどうか」は、判断する人の感性に委ねられるものですから、成績をつけるのが大変です。「上手いかどうか」という基準は、学校教育の影響のために、あまりにも一般化されてしまっています。皆さんが「上手くなること」を当然のように目指してしまうのも、無理はありません。しかし「上手い」ことだけに注目してしまうと、作品の中身が抜け落ちてしまう事があります。

表題マンガで、手に持っている抽象絵画は、パウル・クレーの色面絵画を模していますが、例えばこのような抽象絵画は、作品の中身=表現、それは色の響き合いや色面の形や大きさを楽しむ作者の感性で出来ているので、「上手さ」だけで考える対象ではありません。
反面、「写真みたいな絵」は、今でも「上手い絵」として絶大な人気があります。多くの油絵画家がそこを目指し、そのためにデッサンを練習するということも、現在に至るまで連綿と続いているトレンドです。作者が違っても、写実的で似たような作品がズラリと並んでいる展覧会は、良くお目見えします。そして近現代美術は、クレーだけではなく、現在に至るまに「分からない」「面白くない」という流れが続いています。「上手さ」は必要なことであったとしても、「上手さ」だけに注目してしまうことが要因です。

デッサンは重要な基礎です。でも、デッサン(下描き)から、アート(作品)という役割分担は、伝統的にあります。デッサンだけを考えるのではなく、デッサンを「アートに必要な表現技術」(の一つ)と捉える方が自然だと思います。そのためには、「上手さ」だけではなく、「見て感じること」を、もっと大切にしていくべきです。