コンテンポラリーアートとデッサンが繋がっていないということは、誤解です。

アートが、こういうデッサンの過程を得て完成したというコメントは、現代ではほとんど聞きません。アートとして成立したコンセプトに、デッサンが含まれることもあまり知りません。常にアーティストは、未開拓の土地を探しています。開拓してしまえば、さあ次に行こうということになって、デッサンは遠い過去の話としか認識されないかも知れない。既に、コンテンポラリーアートにとってデッサンは本質ではない、という論調が多いかも知れません。

しかし、コンテンポラリーアートにも、空間配置など美的な構成や、ドローイング=線を描く、ペインティング=面を塗るなどの造形要素は含まれています。ドローイングやペインティングなどは、デッサンの根源的なものです。それは、コンセプトなどの主要なものでは無いにしても、作家は、デッサン力に拠って作品を作っていることを容易に想像させます。作家によっては、「線」に命を見出したサイ・トゥンブリー、繊細に塗り重ねた「色面」にやはり命を見出したマーク・ロスコ、などの素晴らしい作家がいます。実物の作品に触れると、実は背後にはきちんと造形力、デッサン力が隠されていることは、良く理解出来ることですが、コンテンポラリーアートはデッサンに注目して言及されることはあまり無いと思います。しかし、全く関係ない訳ではありません。

どうして、そのような断裂が生まれたか?
○デッサンの要素、ドローイングやペインティングというものを、まず知らない人が多いこと。

○デッサンといえば、ルネサンスなど中世のアートが想起されてしまうこと。

○近代、モダンアートのカンディンスキー、バウハウスでも、ドローイングやペインティングが重んじられたことが、一般的に認識されていないのではないかということ。

○中世⇔近代⇔現代と、ドローイング、ペインティングの歴史がつながって認識されていないという理由。

コンテンポラリーアートとデッサンが繋がっていることが認知されていないということは、つまりコンテンポラリーアートと美術史の関係が認知されていないということになると思います。