アートは”非言語によるコミュニケーションツール”だとか言いながら、コンテンポラリーアートは難しすぎないですか? 人に伝えたいのなら、なぜ難解にするのですか?独りよがりなんじゃないですか?
というのが、元の本文です。どういった点で、現代アートは、難しいと感じるのか?切り口を想定していきます。
アートは”非言語によるコミュニケーションツール”だとか言いながら、コンセプトが必要とされるのはなぜか?説明します。
確かに、現代アートは、ビジュアルなものです。文章で出来ることなら、文章でするべきです。ビジュアルでないと出来ないからこそ、ビジュアルでやる意味があるのだ、と言えるでしょう。
しかし、現代アートカフェでこのように文章で説明しないと、にっちもさっちもいかないこともあることも確かです。
コンセプトが出てきた背景を想定
1,新しい作品が出来ました。それは、素晴らしく斬新なものでした。
2,でも、人に見せなければ、誰にも伝わりません。
3,人に見せました。
4,でも、その作品を見た人は、なんでそれを作ったのか?どこが新しいのか?、聞いてきました。
さて、あなたなら、どう答えますか?
見るだけで、分かってくれと伝えますか?
なんでそれを作ったのか?どこが新しいのか?説明する言葉、これがコンセプトです。
作品を世に問う、自分の考えを社会に表明するということは、
「これまでがこうだったから、私はこのように考え、このような表現をした。」と、公言することです。
コンセプトは、社会的コミュニケーションを意図している、という言い方も出来ます。
次にコンセプトというものを取り巻く環境について、想定してみます。
1,難しく思うのは、コンセプトと知らないから?
現代アートカフェ1では、作家のコンセプトを実際に紐解きましたが、ビフォー・アフターで、皆さんの感じ方が全く違いました。コンセプト抜きに見ても感動できる作品があることは確かですが、コンセプトを理解することで更に感動できることも確かです。作品において、コンセプトというものの理解が大切であり、せっかく作品に触れるのであれば、コンセプトも理解していただけるよう、強くお勧めします。
しかし、「なぜ難解にするのですか?独りよがりなんじゃないですか?」という強い文言は、もっと複雑な状況を想定させます。皆さんがコンセプトを知りたいと思えるか?思えないのか?という問題、コンセプトを知ることが出来ないという状況まで想定出来ます。
2,コンセプトの説明がないという理由
作家が「見る側が自由に感じて良い。」と突き放して、コンセプトを説く努力をしない状況、展覧会運営者側の、コミュニケーションに対する配慮や準備が足りない状況が挙げられます。
→コミュニケーションを大切にする=何時でもコンセプトを用意し説明できる=作家としてのTPO
鑑賞者も歩み寄れず、納得せずという、不幸な分断が生まれてしまったのは、共感能力の欠如です。或いは、当然、鑑賞者が汲み取ってくれると思って、伝える努力をしないならば、独りよがり、或いは怠惰ということになります。
3,コンセプト自体が、難解で意味が分からないという理由
→これも、伝える側が、コンセプトを分かりやすくする努力が必要だと思います。
⇔過去、現代アート関係者がハイカルチャーであるという特権意識を持ち、難解でも構わないと思っていた状況は、無きにしも非ずだったと思います。
⇔作家としても、コンセプトを強くしていこうとするあまり、それが難解さに結びついてしまった状況は、反省材料です。
⇔現代アートを子供向けに紐解く本を探してみたところ、海外で出版されているものが多かったようです。とても分かりやすく、勉強になりますので、皆さんにも是非お勧めです。
4,一人一人コンセプトが有って、理解するのが大変
作品を作ったら、もれなくコンセプトが付いてくる、作家一人一人コンセプトがあって、大きな展覧会の場合、一々理解するのは困難というケースは良くあります。私も、コンセプトは大切だとやかましく行っておきながら、興味を持っている作家だけしか、コンセプトを理解しようとはしていません。コンセプトの理解は、興味を持てればすればいい、コンセプトを理解するかどうかは、見る方の裁量でどうぞご判断下さい。
作品に興味を持ってもらえるよう、コンセプトを理解してもらえるように、それぞれ作家が努力する方が、自然で民主的だと思います。「なんだ?そんなことも分からないのかね?」とふんぞり返っている大家を崇め奉る、そんなことが無くなって行くことを願っています。
5,コンセプトを理解することが面倒という理由
生きていくのに余裕があるという方も、そうそういらっしゃらないでしょう。それでも、もし興味を持てる作品との出会いが有るならば、せっかくですから、もう一歩踏み出して、コンセプトをお聞きになって下さい。もっと、その作品が好きになるかも知れません。あくまで、お願いベースですけれども。
一般社会との乖離を生んだ状況を変えていくためには、何時でもホームページで作品を見ることが出来る、コンセプトを知ることが出来る、コンセプトも分かりやすくする、そんな発信者側の劇的な変化が必要だと感じました。そうすれば、蛸壺はブルーオーシャンへと変わるかも知れないと、気持ちを奮い立たせております。