評価を受ける現代美術作品の本質とはなんでしょうか?アカデミズムに傾倒してはいないのでしょうか?
というのが、元の本文です。

差異です。
少々硬い言葉ですが、哲学用語ですので柔らかく致しません。
差異を生むものが、価値を生む、アート界の根底には、このような考え方があるはずだと、私は思っています。

差異というものは、現状に対しての対比として考えらます。
今までの経験や歴史を踏まえて、新しいものが出来てくるのですが、どれを取って、どれを変えるか、それぞれ作家が脳から汗を噴き出しているのだと、私は思っています。
だから、タイミングと時代性の関係で、無数のケースがあると思います。

例えば、スマートフォンを考えると、その当時にはまったく無かったもの、とても差異があったものが、爆発的に受け入れられて、新しい環境を作り出しました。次にスマートフォンは、デザインの良さ、価格の安さ、高機能と、それぞれの差異を出すことにより、現在シェアを争っているわけです。

差異が生まれ(生み出され)、差異が無くなっていく(行き渡っていく、吸収されていく)、また差異が生まれ差異が無くなっていく、そのようなことが反復されることをまとめた哲学書を紹介します。
「差異と反復」―ジル・ドゥルーズ

アカデミズムに傾倒してはいないのでしょうか?
傾倒してはいません。

アカデミズムは、大学、学術的、研究的というニュアンスを持っています。
質問者は、アカデミズムは、世間から孤立した人の集まりと捉えているのかも知れませんが、先のスマートフォンの例えの通り、「現実」を研究対象としています。これは誤解です。
専門分野は、どうしても狭く深く、追求することになります。世間一般とは違う視点を持つことが、差異を生み出すことになり、深く追求することが成果を生みだすのですから、ズレてるとか、変わっているとか、言われちゃうのかも知れませんが、未来のために応援してやって下さい!

アカデミー(大学)について
●アカデミーは、専門分野の基礎教育、それを学んで社会に還元するための機関。
●学閥というニュアンスもある。
●専門分野の基礎教育には、公平で確実なものが適している。=例えば、デッサン
●教育と実業が違うように、アカデミーでの勉強と、現代アートの現場は違う。
●アカデミーが硬直化するのは、社会的影響を考慮しない場合。基礎教育とは別問題。
●実力以外のものが作用する批判が有ったとしても、実力の世界。
今のところの、私の見識を並べました。

私は、中身を知らないで、言及することは避けています。知らないで言うことは、批評にも批判にもならないと思っています。アカデミー(東京芸術大学)が、どういう場所で、どういうことが行われているか(当時の状況しか言えませんが)、お知りになりたい方は、更なる質問をお待ちしております。